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身内辞退、買い手撤退…2度の後継危機克服した運送会社|日経 ... - 日経BizGate

正喜運送(東京都八王子市)は、大手リース会社を主要顧客に持つ運送会社だ。精密機器のきめ細かな輸送ノウハウを強みに持つ。事業承継では一度、後継者候補となった身内が辞退。後継者不在となり、決まりかけた会社売却の話も流れ、廃業も頭によぎった。国が設置する相談窓口の協力で新たな売却先を見つけることができた。

次男が後継を辞退

同社は1988年に駒井正一氏(71)がトラック1台で立ち上げた会社だ。駒井氏は都内の大手自動車販売会社に自動車整備士として勤務。中央省庁幹部クラスが乗る公用車の整備を担当するほど腕を上げた。結婚後、八王子市に転居して遠距離通勤に。当時はバブル経済の絶頂期だった。「運送業なら軽トラック1台で始められる。脱サラもいいのではないか」と、軽トラックを購入して独立に踏み切った。

独立後、ほどなくして大手リース会社の仕事に巡り合った。1台2000万〜3000万円の高価な計測器やコンピューターなどの精密機器を取り扱う。損傷事故防止のため自ら製品ごとに運び方を研究した。従業員にも運び方を教え込み、配送先の顧客にも運んだ製品を動かすときの注意点について伝えるなど丁寧な仕事を徹底した。

独自の精密機器の配送方法は、他の運送会社にない強みとなった。仕事ぶりが評価され、リース会社の都内の事業所内に自社の配送拠点を持つほどの信用を獲得した。勤務時間はリース会社の勤務時間と連動し、平日は朝〜夕の出勤、土、日曜日は休日だ。業界内では恵まれた勤務条件で従業員の定着率も高い。

2010年代になり60歳を過ぎると、若い時より経営を担う体力、気力が落ちてきたと駒井氏は実感した。トラック15台、従業員20人を抱えていた事業規模を徐々に小さくする「守りの経営」を迫られ、「会社の将来のためにも、65歳までには引退すべきだ」と考えるようになった。

そんな時、13年に自宅で同居している次男から「僕が継ごうか」と申し出があった。駒井氏と次男は承継への道筋をつくろうと動いた。次男は地元の八王子市で後継者候補が経営知識を教わる後継者塾に1年間通った。トラックの整備ができるよう自動車整備士の資格なども取り、後継に向けた準備を整えて入社した。

しかし、16年に次男から「申し訳ないけど、後を継ぐのは無理だ」と打ち明けられた。駒井氏は「運送業の経営環境の厳しさや、若いうちから運転手らベテラン従業員を管理することの難しさを実感したからではないか」と話す。次男はその後、別の職に転じた。

周りを見渡すとほかに後継者候補はいない。長男はすでに別の会社に勤めていて、会社を継ぐ意思はない。従業員は長年在籍する生え抜き運転手は多いが、経営がわかる人材はいなかったという。やむなく第三者への売却による事業継続を考え始めた。

M&Aも白紙に

20年3月には、取引先金融機関のすすめで、東京都立川市の「東京都多摩地域事業引継ぎ支援センター(現東京都多摩地域事業承継・引継ぎ支援センター)」を訪ねた。同センターは国が設けている事業承継の相談窓口で、立川商工会議所が事業を受託している。

「当社には親族にも従業員にも後継者候補がいません。事業を引き継いでくれる第三者の担い手はいないでしょうか」と切り出すと、担当者は「運送業は事業引き継ぎで引き合いの多い業種です。協力します」と支援を約束してくれた。

同年夏には同センターなどの紹介で、地方の同業他社のトップと顔を合わせた。配送する製品が同じ精密機器で、交渉は順調に進んで株式譲渡契約を結ぶのを待つだけになっていた。ところが、同年12月、M&A(合併・買収)交渉の実務にあたった会社の担当者が八王子市の本社を訪れ「私も当惑しているが、今回の話はなかったことにしてもらいたい」と、突如交渉を打ち切られた。

決着しかけた事業承継が再び白紙に戻り、駒井氏はさすがに気を落とした。「このまま後継者が決まらなければ、廃業もやむを得ない」という不安が頭をよぎった。センターの担当者に電話すると、引き続き支援を受けられることを告げられた。

新たな担い手に託す

「人材確保のため、同業で事業譲渡を希望しているところはありませんか」。正喜運送の事業承継が宙に浮いた1カ月後の21年1月、同じ運送業で上高運輸(東京都瑞穂町)会長兼社長の上田政晴氏(75)は、正喜運送とは逆の立場でセンターを訪れていた。

上高運輸は小型の2トン車から大型の25トン車まで約100台のトラックを持つ中堅だ。配送品は食料品が主力で引き合いも増えているが、従業員の高齢化で退職が増えて人手が不足し、事業拡大に支障を来していた。センターの担当者は「運送業では同じように人材確保で困っているところがよくあります」と、買い手としての登録を勧めた。

上高運輸の登録後、センターは、同社の事業規模が比較的大きいこと、配送品が異なり競合も起きにくいことなどから、正喜運送との引き合わせを考えた。センターは3月に互いに名前を伏せたまま駒井、上田両氏に感触を打診。両氏とも関心を示したため、同年夏に立川市のセンター内で直接面談を実現させた。

駒井氏は大手リース会社の信用力維持のため、事業規模が自社を大きく上回る企業による事業引き受けを希望しており、「上高運輸の規模なら安心できる」と感じた。

上田氏は長男への後継が決まっているが、同世代として高齢でやむなく会社の売却を決めた経緯を語る駒井氏の胸の内をよく理解できた。正喜運送は自社にはない精密機器配送の独自ノウハウを従業員が持っていることを知り、「社長は誠実な方で、いい人材もそろっている」と魅力を感じ初顔合わせで意気投合した。

売り手、買い手の本格交渉入りまでが役割のセンターは、両氏に株式譲渡契約に向けた手続きを仲介する支援会社を紹介し、交渉を軌道に乗せる役割を果たした。22年5月に駒井氏と同氏夫人が持つ正喜運送の全株式を、上田氏が個人で取得する株式譲渡契約を締結。正喜運送は存続させ、上田氏が駒井氏の代わりに代表権を持った。

元経営者が整備士として活躍

「契約ができて長年の懸案が解決し、ほっとしている。時間に余裕もできた」。株式売却後社業の一線を離れ、趣味の釣りなどにも出かける駒井氏だが、上高運輸に意外なところで貢献をしている。

駒井氏は正喜運送設立後も整備士としてトラックの整備を自ら行い、軽トラックを電気自動車(EV)に改造できるほどの腕前だ。現在は上高運輸のトラックの整備にもあたっている。上田氏は「(上高運輸は)整備担当者も不足気味だった。小型トラックの運用ノウハウも学べる」(上田氏)と歓迎している。

駒井氏は「整備にかかる経費を減らせた分、従業員の給与に反映できる。どんな形でも応援したい」と話す。上田氏はそんな駒井氏に敬意を払い「肩書はなくなっても、今でも駒井社長と呼んでいる」という。

(一丸忠靖)

「どうする事業承継 アトツギの作法」は中小企業診断士の資格を持つベテランのライターが、事業承継に取り組んだ中小・中堅企業の実例をリポートします。随時掲載。

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