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永ちゃんも来店した名物ロックカフェが50周年…「いつも変わらず、新鮮」な空間 - 読売新聞オンライン

 東北一の歓楽街、仙台市・国分町の一角で心地よい音楽を流し続けてきたロックカフェ「ピーターパン」が今年、開店50周年を迎えた。変わらぬ店内に、全国の音楽好きが足しげく通う。マスターの長崎英樹さん(71)は「お客さんと作りあげてきたこの場所を守り、さらによくしていきたい」と話す。(長谷川三四郎)

 扉を開けると、だいだい色の温かな照明がともる店内に、JBLのスピーカーからポール・マッカートニーの歌声が響く。ライナーノーツを読み込んでいた長崎さんが振り向き、「いらっしゃいませ」とぼそり。世界的な旅行ガイドブック「ロンリープラネット」でも紹介されたカフェには、落ち着いた空間が広がる。

 国分町が材木や医療品の問屋街だった1972年秋、店は誕生した。レコードが高価な時代。ジャズ喫茶と並び、ロックカフェが都内ではやりつつあった。レコード集めに興じた学生時代は終わり、散歩中に見かけたビル3階のテナント。直感で「やっちゃおう」と出店を決めた。店名はデパートの水着広告で見かけた言葉。覚えやすいのが一番だと思った。

 仙台で先駆けとなるロックカフェは、若者の間で瞬く間に広まった。コーヒーは当時の相場の倍近い1杯150円。学生たちは昼食を我慢し、階段まで並んで順番を待った。当初は私語厳禁。話すと帰宅を命じられた。「ジム・モリソン(ドアーズ)の息づかいまで聴いてほしかった」

 業界でも話題を呼び、多くのミュージシャンが訪れた。細野晴臣、高橋幸宏、大貫妙子、矢野顕子に内田裕也――。大貫さんは80年、ファンの集いをこの場所で開催。20年ほど前には矢沢永吉さんも来店してジントニックを注文した。

 「いつも変わらず、しかも新鮮」な空間は、1日2度のトイレ掃除と、月1度の床のワックスがけで保たれる。混み具合に応じてボリュームを調整し、音の高低のバランスをとる。60年代のロックから最新のものまで、流す音楽は多様だ。

 大恋愛中に初来店した人、ここで出会い結婚したカップル、ロックに魅了されてギターを始めた人。それぞれの物語がある。「昔の写真を見るようにストーリーを思い出す。ずっと同じ場所であるというのが一番意味のあることなんだ」

 常連客の一人、仙台市議の村上一彦さん(66)にとって、店は「青春の全て」だ。高校をさぼって店でむさぼるように音楽を聴いた。社会人になり10年ぶりに来店した時、流れたのは大好きだった一曲。「よくリクエストしていたから」と長崎さんに言われ、人生の一ページがよみがえった。

 ストリーミングで音楽を聴く時代。軽快なポップスがあふれ、ロックカフェは減った。仙台には「もううちだけ」というピーターパンの客足も往時の面影はない。だが、音楽に感動した時の「わあすごい、という念みたいなもの」は訪れた人の思いとして、時とともに店に蓄積されていく――。そう考える長崎さんは、いつものように床を磨き、音を調整し、最高のレコードをかけて待っている。

 50年間に長崎さんが店で多くかけた名盤は――。

  ビートルズ「ラバー・ソウル」 (1965年)

 中学2年で初めて聴いたアルバムは「クールでヒップ(流行に敏感)でスウィート」。分かりやすいのに一筋縄でいかない奥深さがある。その後の道を決めたともいえる一枚。

  デヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」 (72年)

 開店と同じ年に発売された。当時を振り返り、「好きか嫌いかはともかく、デヴィッド・ボウイとここまで来たと言えるかも」。

  ジェイムス・テイラー「スウィート・ベイビー・ジェイムス」 (70年)

 聴く度、「いつも変わらず新鮮」で、店の目指すところと同じ。「ゴールデンレトリバーが隣に寄り添っているような安心感」

 ローリング・ストーンズは、サーファーやパンクロッカーが来店したらかける。「どちらも素直で真っすぐな人が多い」という理由で。スティーリー・ダンは、真面目そうな男性と音楽をあまり聴かなそうな女性がいたら「耳障りにならないように」と流す。あなたが訪れた時、かかる一枚は?

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