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【わがまちの偉人】富山市 富山商高相撲部元監督 浦山 英樹(1976~2017年) - 中日新聞

県相撲選手権大会を制し、朝乃山(前列左)ら教え子とともに記念撮影に臨む浦山英樹(後列中)=石橋靖さん提供

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「前に出る相撲厳しく」「朝乃山ら有望株次々輩出」

 大相撲の朝乃山(25)=富山市出身=の活躍で、相撲人気が県内でも高まっている。その才能を見いだし、厳しくも温かい指導で角界に導いたのが富山商業高校相撲部元監督の浦山英樹。ほかにも日本王者や実業団の主力など有望株を次々と輩出した。選手としても全国大会優勝を経験。どんな相手にも前に出て立ち向かう相撲は、教え子たちに脈々と受け継がれている。 (酒井翔平)

 相撲が盛んな呉羽地区の出身。地区の小学校対抗戦への出場がきっかけで、相撲を始めた。足腰を鍛えるために野球もしていた。四番・捕手として活躍し、チームの要を担っていた。呉羽中学校に進学すると、相撲に専念。団体戦で全国優勝を経験し、富山商、近畿大と名門相撲部に進んだ。

 体重は最盛期で約一二〇キロと決して大柄ではなかったが、持ち味の瞬発力を生かした鋭い立ち合いで相手を圧倒した。大学時代には、元大関出島の大鳴戸親方にも勝った。父親の松男(71)は「誰に言われるわけでもなく、こつこつと努力を重ねていた」と振り返る。

 故郷に戻ってからも二〇〇〇年とやま国体での成年男子B個人で優勝するなど活躍し、とやま国体後は、母校の富山商相撲部監督に就任。〇七年に高校相撲金沢大会団体戦で優勝を果たしたのを皮切りにチームを全国大会の常連に導いた。

 教え子は「指導は厳しかった」と口をそろえる。朝乃山は「褒められたことはない。常に怒られていた」と述懐する。女子相撲の元日本王者、稲葉映美らも教え子だ。

 浦山も複数の親方からスカウトを受けていた。だが「大学を卒業したら富山に帰りたい」と断った。故郷への思い入れはひときわ強かった。それでも、自分と同じように地元での就職を考えていた朝乃山には「プロに行ってほしい」と角界入りを勧めた。「富山出身の力士がスターになれば、相撲をやりたいという子どもが増えると考えたのでは」。松男はそう推測している。

 一四年にがんが見つかったが、教え子には病気のことは教えなかった。そして、一七年一月に旅立った。朝乃山が幕下で全勝優勝し、十両昇進を確実にした直後だった。

 浦山の期待に応えるように、朝乃山は出世の階段を駆け上がっている。「まだまだだよ」。浦山はそう言って天国から教え子の活躍を見守っているだろう。 =敬称略

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【プロフィール】うらやま・ひでき 富山市生まれ。富山商業高校卒業後、名門近畿大相撲部に入部。卒業後は2000年のとやま国体で活躍し、母校の富山商相撲部監督に就任。チームは全国大会の常連となり、朝乃山らを輩出した。40歳で死去。

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January 11, 2020 at 03:10AM
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