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【レビュー】「恋し、こがれたインドの染織 ―世界にはばたいた布 ... - 読売新聞社

インドでは古くから綿が栽培され、3500年以上前から綿の美しい文様染である捺染なっせんの布が作られていました。動物繊維の絹や毛に比べて植物繊維の木綿や麻などを美しく染めることは難しく、17世紀以前に赤や黄色を鮮やかに発色させ、しかも洗っても色落ちしない布を作る技法はインドにしかありませんでした。美しい色彩と文様の木綿布に異国の人々は恋しこがれたのです。インド布は、ヨーロッパをはじめ、インドネシア、タイ、ペルシャ、日本などへ輸出されそれぞれの地域で独自に発展しました。

今回は日本画家でインド美術研究者でもある畠中光享こうきょう氏が、50年をかけて収集した染織品のコレクション約1500点の中から厳選された120点余りが展示されます。インドを中心に染(更紗さらさ)、つづれ織、絞り、刺繍といった多種の染織品を展観します。

特別展 畠中光享コレクション 恋し、こがれたインドの染織 ―世界にはばたいた布たち―
会場:大倉集古館(東京都港区虎ノ門2-10-3)
会期:2023年8月8日(火)~10月22日(日)
※前期 8/8(火) ~9/10(日)、後期 9/12(火)~10/22(日)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜)
アクセス:東京メトロ南北線六本木一丁目駅中央改札から徒歩5分、日比谷線神谷町駅4b出口から徒歩7分など
入館料:一般 1,300円、大学生・高校生 1,000円、中学生以下無料
詳しくは(https://www.shukokan.org/)へ。

インド布 ヨーロッパへ渡る

1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端を経て、インド航路を開拓すると、ヨーロッパの列強の国々はこぞってインドを目指しました。目的は、宝石や香辛料、そして綿でした。インドの上質な布の多くはヨーロッパに渡り、美しい色彩でエキゾチック、しかも色落ちもしない布として人々を魅了しました。

左:《掛布》、コロマンデール・コースト(インド)、 18世紀後期、手描染、媒染、防染 /木綿 右:《竹花樹鳥獣文ベッドカバー》、 コロマンデール・コースト(インド)、18世紀後期-19世紀初期、手描染、媒染、防染/木綿

最初に展示されているのは、メインビジュアルにもなっている《掛布》です。パランポールと呼ばれる捺染なっせん布は上流階級のベッドカバーやカーテン、衣服に用いられました。「生命の樹」と呼ばれるヨーロッパ人好みのモチーフで白地に鮮やかな色彩の布は大変人気がありました。

イギリスやフランスでは自国の繊維業界との競合を避けるためにインドの捺染布の輸入と使用の禁止令が出るほどでしたが、その効果もなくヨーロッパ中に広まっていきます。

しかし、18世紀初めにイギリスのランカシャーで機械織の綿織物が発明(産業革命の発端)されると、今度は機械織の安価な綿製品がインドに流入するようになり、インドの綿織物工業は打撃を受けて衰退していきます。

木綿のドレスにカシミヤのショール

同じように、インドの木綿モスリンやカシミヤの織物は17世紀後半からヨーロッパへ輸出され、19世紀初めには薄いモスリンのドレスにカシミールショールを羽織るファッションがヨーロッパで流行しました。
カシミールショールは、カシミヤヤギの毛で作られた糸を染め、たくさんの色糸をトジリと呼ばれる木管に巻き、つづれ織で文様を織り出します。複雑な文様を織り出すため、1枚作るのに3年間かかる大変手間のかかる高価なものもありました。

展示風景 極細の木綿糸で織り上げたモスリンのドレスにカシミールショールを羽織るスタイルが流行
19世紀にインドのカシミールで作られた《ショール 》(綾地綴織/羊毛)

しかし、産業革命によって、18世紀終わり頃から、カシミールショールを模造した機械織(ジャカード織)がイギリスやフランスで量産されると、手間がかかるカシミールショールは競合できず、19世紀末には消滅してしまいました。

イギリスやフランスで19世紀に作られた羊毛のジャカード織の《倣カシミールショール》

憧れの布 東南アジアへ 日本へ

東南アジアとインドは昔から貿易関係がありましたが、オランダの東インド会社がイギリスによってインドから追放され、香辛料貿易の拠点をインドネシア(バタヴィア)に移したことをきっかけに、インドの捺染布がインドネシアの部族の長たちに求められるようになりました。また、かすり布も輸入され、東南アジア全域で模倣されました。

インドネシアの儀礼用の布。左から、20世紀前期・ 絣織/絹 、20世紀前期・ 絣織/絹 、19世紀末・浮織/絹

日本にも江戸時代には、オランダを通じてインドの捺染布が伝わりました。加賀藩前田家のような大大名や堺の商人などはオランダ商館を通じてインドに独自のデザインを発注しました。大変高価なものでしたので、茶道具の仕覆しふく袱紗ふくさ、煙草入れといった小物に使われました。
捺染の技術が導入された江戸時代後期には鍋島藩、天草藩、堺や京都などで、顔料を型染めする「模倣捺染布」が作られるようになりました。しかし、インド布のように美しい発色を再現することはかなり難しかったようです。

19世紀の日本で作られた木綿の顔料型染

展示室のあちこちで「どこかで見たことある」と思う瞬間がありました。展覧会図録によると、インドの捺染布は、現代でも目にする機会の多い、ウィリアム・モリス、リバティ、エトロ、ラルフローレンなどのデザインにも影響を与えています。世界中が「恋し、こがれた」、このインドのすばらしい細やかな技をぜひお近くでご覧ください。(ライター・akemi)

ミュージアムショップでははがきや書籍のほかストールや小物なども
【ライター・akemi】
きものでミュージアムめぐりがライフワークのきもの好きライター。きもの文化検定1級。Instagramできものコーディネートや展覧会情報を発信中。
展覧会に合わせたコーディネート。今回のメインビジュアルに似た更紗の帯に花柄を絣織した夏大島紬を合わせて。

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