11月に装い新たに生まれ変わった国立競技場。1964年東京五輪のメインスタジアムとなった旧競技場の歴史に刻まれる名場面が、陸上男子マラソンでの円谷幸吉の走りだ。
曇天の10月21日。2時間12分11秒2の世界最高記録で史上初めてマラソン連覇を果たすアベベ(エチオピア)に遅れること約4分。代々木門をくぐって2番手でトラックに姿を現した円谷は、迫るヒートリー(英国)とのデッドヒートとなった。ゴールを目前に抜き去られたが銅メダル。「がんばりがいがあったなと、しみじみ思いました」と関係者とサイダーで乾杯し、笑みを浮かべる晴れやかな姿が翌日の新聞紙面を飾った。
円谷は4年後に向けさらなる飛躍を期したが、腰の持病が悪化。椎間板ヘルニアとアキレスけんの手術を受けたものの復調かなわず、68年1月、「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。(中略)幸吉は父母上様のそばで暮らしとうございました」と遺書を残し自ら命を絶った。享年27歳だった。
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December 26, 2019 at 04:00PM
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男子マラソン、円谷が「銅」 1964年東京五輪 - 日本経済新聞
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