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【AMERI・黒石奈央子2】好きな本は『サピエンス全史』。一番成長できる環境は「教えてくれる人がいないところ」 - Business Insider Japan

AMERI・黒石奈央子

撮影:伊藤圭

ファッションブランド「AMERI(アメリ)」を運営するBSTONES社長の黒石奈央子(36)がファッションでビジネスをしたいと思った最初の出来事は、18歳の頃にさかのぼる。

卒業旅行で従姉とアメリカを旅したとき、街角やレストランで「あなたの服、すごくいいね!」と褒められた。日本では見知らぬ人から服を褒められたことなどない。しかも身につけているのは決して高価なわけではないギャルファッションだ。

「知らない人から声をかけられるぐらいに日本のファッションは外国でウケるのに、海外で見かける日本のブランドといえばユニクロぐらい。どうしてだろう?」

黒石がファッションビジネスに問いを立てた初めての体験だ。

「いつか見返してやる!」反骨心たぎらせ

オーストラリア・アデレード

高校時代にはオーストラリアの5大都市の一つ、アデレードに留学。大学受験時も英語は得意科目だった。

PomInOz / Shutterstock

小さい頃から「なぜ?」「どうして?」を考える子どもだった。根本を問う思考回路は今に続いていて、例えば、読む本は『サピエンス全史』のように、人間の存在本質を考えるようなものを好む。

小学生のときにはすでにおしゃれが好きだった。末っ子の人生は姉の模倣から始まる。黒石は一生懸命工夫した組み合わせを6歳上と3歳上の姉からダメ出しされ、「なんで!」「いつか見返してやる!」と反骨心をたぎらせていた。

大阪市の中心部で不動産業を営む父と専業主婦の母と三人姉妹、そして叔父一家が一つのビルに暮らす大所帯で、三人の従姉たちもあわせて六人の子どもが姉妹のように育った。父の兄弟は全員が自営業だ。

父は若い頃にバックパッカーとして世界中を旅した怖いもの知らず。家の中には西側のカルチャーが溢れていた。その父と母に連れられて幼稚園の頃にハワイに行ったのが初めての海外旅行。小学生の頃には、当時高校生だった姉が留学していたニュージーランドを家族で訪ね、父の運転する車で島をロードトリップした。姉二人が高校で留学したことに触発され、黒石も高校2年のときオーストラリア・アデレードの現地校に留学している。

中高時代にはハイブランドからカジュアル、ストリートまでファッション誌を熟読し、限られたお小遣いでおしゃれをした。冒頭に触れたアメリカ旅行から帰国すると、立命館大学に通う傍ら、梅田・オーパのギャル向けのファッションブランドで販売員のアルバイトを始めた。いつか海外に日本のブランドを持っていきたいと思い選んだバイトだった。

かと言って、ファッション一筋だったわけでもない。居酒屋、カラオケ、コールセンターなどのアルバイトに加えて一つチャレンジをしていたと、話の流れで黒石はこんなことを言った。

「三回生のときに音楽活動をしたくていろいろトライしていたんですけど、うまくいかなくて。途中で、このままでは食いっぱぐれると思ってやめました。それから自分探しの旅に出ました」

黒石はさらりと話したが、音楽活動を目指した志向性は、黒石が自らのタレント性に自覚的だったことを表している。現在、AMERIのYouTubeチャンネルで黒石が照れることなく役割を演じきっているのは、もともとの黒石の「やりたかったこと」と一致もしていたのだ。どうりでうまいわけだ。

黒石の話の続きを聞こう。

「音楽活動ではない道を探るならどういうふうになりたいのかと思ったとき、服が好きだから服に携わる仕事がしたいと思いました」

そして黒石はファッションを仕事にしようと決めたという。出版社やアパレル商社の説明会に参加。前後して「一緒にやろう」とアパレルブランドでアルバイトしていた頃の同僚から誘われた。アパレル企業に就職した彼女はちょうど新しいブランドを始めようとしていた。

誰もいない環境でこそ人は一番成長できる

【画像】ショーウィンドウに洋服が陳列されている様子

黒石はあるアパレル企業に新卒として入社後、顧客の視覚に訴えることで服の魅力を伝えるスキルを次々と身につけていった。

loveguli / Shutterstock.com

入社後、新しいブランドに配属され、商品管理を担当してわずか1カ月でVMD(ヴィジュアルマーチャンダイジング)の仕事をすることになった。VMDとは、売りたい商品を顧客に見えやすく伝える仕事のことだ。

できたばかりのブランドで人手が足りていなかった。最初はイラストレーターやフォトショップなどのデザインソフトの使い方が分からず、講習を受け、勉強した。使いこなせなかった初期はワードとエクセルでカタログを作った。カタログ製作から新規店舗の仮囲いやノベルティのデザインまで、商品以外のデザインはすべて担当した。実質的にはビジュアルディレクターだった。

教えてくれる人のいない環境で雑多な仕事を任されたことが良かったと黒石は言った。

「自分で勉強するしかない環境に追い込まれてこそ、私は自分を発揮できました。雑食系の性格もあって、いろんな仕事をやらせてもらえたのが良かった。

人って自分のすぐ上に聞くことのできる上司がいる環境ではなくて、誰もいない環境が一番成長につながるんだと、この経験で実感しました」

任される範囲は広がり、店舗の内装やウインドウディスプレーまで担当するようになる。

他方、経営会議に参加すれば、若い女性購買層を理解できていない男性幹部社員たちの議論の結果が見当違いな方針にまとまっていくことに、違和感を持った。

一社員なので発言する機会は与えられないが、議論を聞きながら、「こうしたらいいのに」「ああしたらいいのに」「なんでこうしないんだろう」と心の中で思い、自分だったらどうするか、頭の中でシミュレーションを繰り返した。

「服に魅力があることはもちろんですが、なおかつ、服をおしゃれに見せることができる。その意味でプロデューサーの腕は大事です。

プロデューサーにセンスがあって、その人が世界観をちゃんとつくれていること。このどれが抜けてもダメなんです」

現在、AMERIが商品開発と同じくらいにSNSやYouTube配信などコミュニケーションを尽くし、世界観を表現しているのは、前職のブランドビジネスの現場で学んだことのすべてを反映させた結果なのだと黒石は言う。

第3回は、自らを「ふつう」と言う黒石が冷静に自分を見つめられる理由を聞いた。


三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。個人サイト

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