現役を引退した大相撲の元大関・豪栄道(33)=本名・沢井豪太郎、大阪府寝屋川市出身、境川部屋=が29日、東京・両国国技館で記者会見し、「自分の中では、やりきった気持ちがある。今は満足している」と話した。豪栄道の一問一答は次の通り。
「土俵に立つ」は最高状態であること
――今の心境は。
◆自分の中では、やりきった気持ちがある。今は満足している。
――引退を決意した要因は何か。
◆数年前から、大関から落ちたら引退しようと心に決めていた。今場所、大関から落ちることが決まって、来場所相撲を取る気力がなくなった。
――引退することに迷いや葛藤はあったか。
◆自分自身に迷いはなかったが、いろいろな方々から説得された。自分勝手なわがままで、引退させてもらった。そこは本当に申し訳ないと思っています。
――次は、故郷・大阪で行われる春場所だった。
◆楽しみに待っていてくれる大阪の人たちには申し訳ない。ただ、気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかないと思った。
――昨年九州場所でけがをした左足首の状態は。
◆土俵に立つということは、最高の状態にあると思ってやっている。言い訳は何一つない。
心の中に「やせ我慢」という言葉
――負け越しが決まって、引退を決めた後も相撲を取った。
◆今まで育てていただいた師匠をはじめ、いろいろな人たちのために残り3日、一生懸命頑張ろうと思ってやった。
――2005年初場所で大相撲の世界に飛び込んでから丸15年。どのような相撲人生だったか。
◆いろいろな縁があって境川部屋に来て、境川親方の下で相撲を取れて本当に良かった。
――稽古(けいこ)が厳しい境川部屋で学んだことは。
◆師匠は義理と人情を大事にしている方。そういうところを一番学んだ。
――けがとの闘いを振り返って。
◆けがはつきもの。つらいとか苦しいとか、自分では思わないようにやってきた。
――15年間で一番印象に残っていることは。
◆優勝した場所(角番で全勝優勝した16年秋場所)が一番印象に残っている。一生懸命やれば結果が出ると信じていた。
――特にどの相撲が印象深いか。
◆優勝を決めた一番(14日目の玉鷲戦)。それまで、大関に上がってから情けない成績だった。師匠をはじめ、いろいろな人に良い思いをさせてあげられなかった。優勝したことで、自分のことのように喜んでくれたことが一番良かった。
――境川部屋には同期の豊響や同学年の妙義龍らがいる。
◆彼らがいたから僕がある。本当に感謝している。
――師匠に対する思いは。
◆境川部屋に入っていなかったら、もっとうぬぼれた人間になっていたと思う。自分を正してくれて本当に感謝です。
――貫いてきた信念は。
◆「やせ我慢」という言葉が心の中にある。つらいときなどに、人にそういうところを見せないように努めてきた。
――今後は指導者になる。
◆自分は横綱に上がれなかったので、横綱を育てたい。
大和魂は「我慢強く潔く」
――大関昇進の口上で「大和魂」と述べた。貫き通せたか。
◆自分の中ではやり通せたと思う。
――大関から落ちても相撲を取り続けている力士もいるが、同じように相撲を取ろうと思わなかったのは。
◆一番は気力が尽きたというのが理由。落ちてからやるつもりは元々なかった。
――負け越しが決まった翌日、栃ノ心を寄り切った相撲は素晴らしかった。大関からの陥落が決まった後の3日間、どんな思いで土俵に上がったのか。
◆師匠から「周りのみんなのために残り3日頑張れ」と言われた。今までの相撲人生の集大成だと思ってやった。
――相撲を終えた今思う「大和魂」とは。
◆我慢強く潔く、というのが大和魂の本当の意味。そういうこと。
――大関を目指す後進に、その重みはどのように伝えるか。
◆プレッシャーがたくさんあると思うが、それ以上にやりがいのある地位だということは伝えていきたい。
――境川親方に一言。
◆師匠の男っぷりの良さは、見習うところがある。師匠の下で男としての所作を学びたい。
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January 29, 2020 at 02:18PM
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