10月12日午前10時、台風19号が首都圏に迫っていた。徐々に強まる雨脚が、ホテルの窓から見える都心の風景を煙らせる。
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5月に生まれたばかりの次男テルくんを膝にのせた中島理恵子さんは、滞在するホテルの一室で切り出した。
「普段、ラグビーについて話すことはほとんどないですね。ラグビーは彼の仕事であり、生業でしょう。ラグビーを知らない私が口に出しちゃいけないかな、と」
でもね、と彼女は続けた。
「イシと知り合うまではラグビーを見る機会はほとんどありませんでした。見はじめて、すごいなと思ったのは他のスポーツにはないラグビーの文化です。お客さんは、応援するチームに関係なく客席に座って、いいプレーに拍手する。キックするときは静かにする。ラグビーは、相手をリスペクトするスポーツなんだなって」
「イシ」とは理恵子さんの夫で、日本代表プロップの中島イシレリである。
2人の出会いから7年が過ぎている。
桜のジャージの17番を背負った中島は、今回のW杯5試合すべてに後半から出場した。彼が担ったのは、疲労が見えはじめたチームに活力を与える役割だった。
2人の出会いから7年が過ぎている。
1990年生まれの理恵子さんは、中学卒業後にカナダへの留学を経験した。
「中学時代から物事を考える根っ子には言語があるんじゃないかと漠然と感じていました。日本にいて日本人と日本語だけでコミュニケーションを取っていたら新しい考えや、広い視野を持てないんじゃないか、と。叔母がカナダの人と国際結婚していた影響もあって、中学時代から、いつか海外に出てみたいと思っていたんです」
高校時代をカナダで過ごした理恵子さんは帰国後、日本の大学で経営学を学ぶ。そして、2012年からは北関東を中心に飲食店フランチャイズを運営する企業で働きはじめた。
「なに? この毛むくじゃらで、大きい人は」
一方の中島イシレリは、1989年にトンガ王国で生をうけた。2008年に流通経済大学の留学生として来日。大学卒業後は、NECグリーンロケッツでラグビーを続けていた。
出会いの場は、千葉県柏市の居酒屋。2人は別々に呑んでいたが、共通の友人がいると分かり、会話を交わした。当時の中島は186cm、150kg。理恵子さんは第一印象を「なに? この毛むくじゃらで、大きい人は……って驚きました」と苦笑いして振り返る。
当初、会話は英語だった。だが、あるとき理恵子さんは「待てよ」と不思議に感じた。
「流経大卒って言っていたよな……」
試しに日本語で話しかけてみると、中島は普通に日本語で答えた。
「いまほどは日本語が流暢じゃなかったから、恥ずかしかったのかもしれません」
無邪気でおおらか、そしてラグビーに真摯に取り組む姿に理恵子さんは惹かれていく。
2人は2014年に結婚するのだが、理恵子さんの父は、ひとつ条件を付けた。理恵子さんが結婚後も仕事を続けること。プロアスリートは華やかな反面、ケガのリスクが付きまとう不安定な職業だ。それは、娘を思う父の親心だった。
「心配してくれたんだと思います。ただ高校時代に留学もしていたし、叔母も国際結婚をしていたから、反対はありませんでした。それにトンガの人は、日本人と似ているんです。謙虚で礼儀正しく、年上の人を敬う。そんなトンガの国民性も私の家族の考えと合ったのかもしれません」
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2019-11-13 11:01:00Z
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