
「あれ、ほしい」「これも、ほしい」――。子供も大人も、買い物をしているとワクワクしますが、物欲は時に悩みの種ともなります。この「物欲」は個人的なことのようで、国や文化によって違いもあると感じています。今回は、そんな「物欲」に関する「あんなこと、こんなこと」について考えます。
先進国であれば多かれ少なかれどこも「消費社会」ではあるのですが、そうはいっても「何に対してお金を使うのか」ということについては、その国の「空気」も関係しているようです。「何にお金を使うか」は、「何を大切にしているか」という価値観と直結していることも多いです。
日本の女性の場合、「身につけるもの」にこだわる印象があります。よって物欲の対象が、洋服や腕時計、バッグであることが多いようです。ドイツで育った筆者にとって中でも新鮮だったのは、財布やそのブランドにこだわる「お財布文化」があること。
日本の会社に勤めていたころ、同僚の女性たちはそれぞれ「自分の好みのこだわりの財布」を持っていました。ランチ時には財布だけを持ってみんなで連れ立って外に出るので、必然的に財布が目立つのです。当時は長財布が多かったと記憶していますが、風水を気にして金色の財布を持っている人、モノグラムが有名なブランドの真っ赤な財布を持ち歩いている人など、パッと見て「あ、この人はこういうものが好きなんだな」と分かりました。
ドイツ生活が長かった筆者は日本に住み始めてからも長らく「好みがドイツ風」であったため、日本の会社に勤めていたころも財布は「黒い革のノーブランドのもの」でしたが、日本での生活が長くなった今はちょっぴりこだわるようになりました。今のお気に入りはマニッシュなスタイルのジミーチュウの財布です。
さて、ドイツの女性は「身につけるもの」についてブランドにあまりこだわらないと書きましたが、「物欲」がないわけではありません。ただそれは「旅行」と「家」関連のものに集中している印象。自分の家の中の「居心地の良さ」にこだわる人が多いので、ちょっと変わったデザインの値段の張るランプを買うなど「家のインテリア」にこだわる人は多いのです。
そして「旅行」。日本の人にとって「旅行」は生活における「プラスアルファ」のような気がしますが、ドイツの人は「休暇と旅行は必須」という感覚があります。有休が1年に30日あるという人も珍しくないので、海外旅行をする時間もたっぷりあります。休暇のたびにお気に入りの南の島に通うなどしてリピーターになる人や、新たに「どうしても行きたい場所」ができたら、そこへ出かけていくためのお金は惜しみなく使うという人が、ドイツでは男女ともに多いのです。
筆者のドイツ人の友達夫婦は2人ともTシャツにパンツというラフなスタイルでパッと見は「あまりこだわりがない」ように見えますが、家にお邪魔すると、大変居心地の良い空間で、インテリアや置物のセンスが良いのです。2人は居心地の良い空間を作りだすことにお金と時間をかけているのでした。そんな彼らは、夫婦で世界の色んな場所に旅行しています。ドイツ人は「身に着けるもの」など「目に見えるもの」にお金を使うというよりも、「どこまでも自分の居心地の良さを追求するためにお金を使う」傾向があります。
このようにドイツでは「物よりも思い出」が重視されるので、ドイツの男性は女性にあまり高価なものをプレゼントしません。日本のSNSでは「いい年をした女性に4℃のアクセサリーをプレゼントする男性」が定期的に炎上していたりしますが、これを見て筆者は毎回色んなことを考えさせられます。
なぜならば、ドイツのカップルであれば、中年であっても「プレゼントは4℃並みの価格」の物であることは少なくありません。もちろん「人による」部分もあるわけですけど、少なくともドイツでは「彼氏からもらったアクセサリーの値段が安かった」というだけで「同情してくれる人」や「一緒に怒ってくれる人」はまずいないでしょう。
今年5月に新型コロナウイルス感染症の位置づけが「2類相当」から「5類」に移ったことにより、様々な制約が緩和され、外出をする機会も増えました。でもコロナ禍1年目や2年目のころは、家にこもる時期が長かったので、必然的にこれが人の消費生活にも影響を与えたようです。人と会って外食をするなどの交流ができなかったため、「家でネットショッピング」をする人が以前にも増して増えました。筆者も例にもれず家でネットを見る時間が増え、コロナ禍の2年目ぐらいから自分の物欲はすごいことになっていました。
ブランドのサイトでネックレスやブレスレットなどのジュエリーを見ては、「いつかお出かけができるようになったら、こういうものをつけたい」と夢は膨らむばかり。もともと友達から「サンドラってあまり物欲ないよね」と言われていたのに、コロナ禍によってだいぶ変わったようです。ただ「筆者が年齢を重ねたこと」も関係しているかもしれません。若いときと違い、セーターやブラウスを着るとき「首回りが寂しい」と感じるようになりました。そんなときに素敵なジュエリーをつけると、やっぱり気持ちが前向きになるのです。
最近は、平日には都心のマンション、週末は郊外の平屋という2拠点生活になったこともあり、平屋に色んな置物を飾りたくなり、イースターの季節に玄関に置くウサギの置物を買ったり、秋にはハロウィーン風の飾りを買ったりと、次から次へとほしいものが出てきます。不思議なことに筆者の場合、夏の暑い時期にはあまり物欲がなく、秋になると色んなものがほしくなります。
新卒で会社に入り、社会人1年目の女性が「初めてのボーナスでちょっと背伸びした高めのジュエリーを買う」というのは、とても夢のあることだと思います。日本よりも階級社会的な考え方が一部に残っているドイツでは、「背伸びした買い物」を冷笑的に見る風潮があります。
「どこそこの高級ブランドのジュエリーをつけている人はそもそも電車に乗らない」「よって電車に乗っている人がそんな高級なジュエリーをつけているのはおかしい」というような考え方です。筆者は電車に乗って少し背伸びした格好をしていてもよいと思いますし、「どういう物がほしいか」ということについて自由でありたいと思います。「こういう立場の人はこういう物をほしがってはいけない」というような、ヨーロッパに暗黙の了解としてあるような価値観はどうも好きになれません。
狭い部屋に住んで高級なジュエリーを身につけるのもアリ、平社員で高級な腕時計をつけるのだってアリだと思います。もしかしたら私の感覚がだいぶ日本的になってきているのかもしれません。一概にはいえないものの、前述通り「階級社会的な考え方」が残るヨーロッパでは、一般的に「休暇」こそ「全員に与えられた権利」だと考えられていますが、「物」に関しては「その人が生まれた家」や「社会的地位」に合うとされている物でないと、「ひとこと言いたくなる」人が多いのです。でも「こういう物をほしがるのが正しくて、ああいう物をほしがるのが正しくない」なんていう感覚はナンセンスだと思います。
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