弘山晴美選手が引退【2009徳島スポーツ回顧】
長く日本陸上女子長距離界をリードしてきた鳴門市出身の弘山晴美(旧姓・鈴木、資生堂、鳴門高ー国士舘大出)が3月22日、最後のレースとなる東京マラソンで競技生活の第一線から退いた。この日、28年間の競技生活を振り返るように42・195キロを、一歩一歩感触を確かめるように駆け抜けた。
タイムは自己ベスト(2時間22分56秒)に程遠い2時間35分39秒だった。それでもレース後「今までやってきたことをすべて表現した」と納得の表情を見せた。
1996年のアトランタから5000メートルなど3大会連続で五輪に出場。世界選手権にも4度出場し、99年のセビリア大会女子1万メートルで4位入賞を果たすなど、数々の実績を残した。結婚後も夫・勉さんと二人三脚で競技を続け、ミセスランナーの先駆けとして多くの女性選手に影響を与えた。
徳島陸上界への貢献も計り知れなかった。「地元の人が応援してくれることが一番うれしかった」。徳島を離れても古里への思いは強く、何度も阿波路を駆け抜けた。9度出場した新春の徳島駅伝をはじめ、08年の第1回とくしまマラソン、今年2月にあった海部川風流(ふる)マラソンにも招待選手として出場し、健脚を披露した。
都道府県対抗女子駅伝には、ふるさと選手として参加。下位に低迷する徳島県チームを何度も順位アップに導いた。チームに帯同する期間は短かったものの、中・高校生選手と積極的に交流。食事や練習面でのアドバイスを送り、選手育成にも一役買った。
影響力は女子選手にとどまらなかった。東京マラソンで弘山の近くを走った板倉具視(大塚製薬)は、沿道から送られる声援を肌で感じ「自分も弘山選手のようになりたい」と奮起。今季成長を遂げ、10月の世界ハーフマラソン選手権の日本代表になったほど。
多くの功績と足跡を残した弘山。その走りは全国、世界を目指す県内の若手ランナーにも、しっかり受け継がれていくことだろう。
※日付・年齢などは2009年12月16日掲載時のもの
徳島新聞社など全国24メディアが協力した、コラボレーション報道「コトバのチカラ(https://powerofwords.jp/)」との連携企画記事
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May 26, 2020 at 09:35AM
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