「やはりギリシャは特別な場所」
2004年アテネ五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した野口みずきさん(41)が、ギリシャのオリンピアで3月12日に行われた東京五輪の聖火採火式後、日本人最初のランナーを務めた。古式にのっとった採火式でともされた聖火は、16年リオデジャネイロ五輪の射撃女子25メートルピストル金メダリストで地元ギリシャのアンナ・コラカキさんから野口さんにリレー。野口さんはトーチを手に、所定の200メートルをゆっくりと走った。
三重県伊勢市出身で、実家が伊勢神宮の外宮(げくう)に近い。子どもの頃からギリシャ神話も好きだったといい、聖火ランナーの大役は「神のつながりをすごく感じている」。現役時代、身長150センチと小柄ながらバネを利かせたストライド走法で躍動した。引退して約4年。野口さんに改めて「金メダルへの42.195キロ」を振り返ってもらった。世界の頂点を極め、その後日本記録をつくった栄光の原動力は、生来の負けん気だった。(時事通信社 小松泰樹)
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2004年8月22日夜。アテネ五輪女子マラソンのゴールとなるパナシナイコ競技場は、ヒロインを迎える興奮に包まれていた。1896年の近代五輪第1回アテネ大会で主会場となった施設。直線部分が長くややコンパクトな黒色のトラックを、豊富な大理石を素材にしたスタンドがU字形に囲む。重厚さが漂うスタジアムへ、野口みずきが真っ先に入ってきた。その前後のシーンは、今も鮮明によみがえるという。
「ラスト1、2キロは沿道の街灯が光り輝いているように見えた。その光に吸い込まれるような感覚で、道路を進んでいった。パナシナイコ競技場の前まで来て目に入ったのが、五輪のマーク。これも白く輝いていた。スタジアムに入ると、トラックが黒色だから明るいところは白色という感じ。そのコントラストがすごくきれいで、このままゴールしたくない、もっと走り続けたいという気持ちになった」
マラソンは、紀元前490年に少数のアテネ軍がペルシャの大軍を撃破した「マラトンの戦い」の報告をいち早くしようと、兵士がアテネまでの約40キロを走り抜き、勝利を告げて息を引き取ったという故事に基づく。アテネ五輪でマラソンコースの発着はマラトン~アテネ。五輪でマラソン日本代表の宿舎は選手村でなく個別に決めるのが一般的で、野口陣営のそれはスタート地点に近いところだった。
「レース当日の朝、マラトンの戦いにまつわる塚を訪ねてお祈りした。感じるもの、というか独特の空気感があった。やはりギリシャは特別な場所なんだな、と思った」
120%の練習に自信
スタートから激しい起伏を繰り返す上り坂が32キロまで続く。そこから今度は、アテネの市街地に向かい下っていく。号砲は午後6時だったが、それでも気温は35度。猛暑の中で、上り坂と下り坂の両方に対応できる脚力、心身のスタミナが求められた。五輪の女子マラソン史上、最大の難コースとされたが、野口はそれに敢然と立ち向かうべく鍛え上げてきた。
「アテネ五輪に備えて、中国の昆明やスイスのサンモリッツで走り込んだ。月間で1350~1370キロ。(2000年シドニー五輪金メダリストの)高橋尚子さんは1400キロ以上を走ったと聞いている。しんどかったけど、マラソンはごまかしが利かない。練習を120%やって初めて、大会で100%の力を出せると思う。当時は26歳。マラソンランナーとして脂がのっていたから、自信があった。スタートラインに立った瞬間『世界一のトレーニングをやってきたんだ』と自分に言い聞かせた」
中間点を過ぎて先頭集団は野口ら7人。勝負どころは25キロすぎだった。野口が給水を取った後、スッと前に出る。エルフィネッシュ・アレム(エチオピア)、キャサリン・ヌデレバ(ケニア)、ポーラ・ラドクリフ(英国)が続いた。28キロの手前で野口がギアを入れ、後続を引き離していった。ロングスパートだ。当時の所属先で野口を指導した藤田信之監督が、レース後に戦略を明かした。「25キロを過ぎたら勝負をかける。30キロまで持っていったら勝てない」。外国勢のうち、後半から終盤にかけて抜群の力を発揮するヌデレバの猛追を想定。野口が勝つために、ゴールから綿密に逆算して見いだした作戦だった。
「仕掛けるタイミングについて、監督とコーチはレースの前日までに話し合っていたらしいけど、告げられたのは当日、ウオーミングアップが終わってから。でも、自分には動物的感覚のような勘があったから、何となく25キロくらいかなと。私は上り坂を走るのが上手だったけど、下り坂は下手。あのコースでは皆が(下り坂の)後半にスパートしてくるだろうから、同じ走り方をしていたら勝てないと思っていた」
32キロから下り坂に。首位をひた走る野口は35キロ地点でサングラスを頭上に乗せた。スピードは衰えない。その頃、ヌデレバが2位に浮上。予想通りの追い上げを見せ、38キロで野口と14秒差、40キロでは12秒差まで迫ってきた。逃げ切れるかどうかの局面。ヌデレバの逆襲を背中で感じた野口は、持って生まれた負けん気の強さを発揮した。
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March 20, 2020 at 12:19PM
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原動力は「負けん気」、アテネの記憶鮮明に 女子マラソン野口みずきさん - 時事通信
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